ナカチカ100年史

第2期|躍進期

1965 〜 1992

ナカチカの大躍進
「“クリエイティブ ファースト”
二代目が事業を拡張」

包装紙から店舗設計にいたるまで、
呉服店におけるあらゆるセールスプロモーションを
手掛けるようになったこの時期。
業界内で「着物以外のすべてを扱うナカチカ」と評され、
右肩上がりで売り上げを伸ばしていく。
飛ぶ鳥を落とす勢いで事業を拡張し続けた
大躍進期といえよう。

第2期|躍進期

1965

「中近宣伝美術印刷株式会社」に社名変更。
創業者・近蔵の次男、中島秀治が二代目社長に就任。デザイン重視の考え方を持っていた人物で、のちの販売促進事業におけるクリエイティブ領域拡大の原動力であった。

1966

初の支社となる京都営業所(現:京都支店)および、ナカチカデザインルームを開設。包装紙から販促物の企画制作まで、セールスプロモーションに必要なソリューションをワンストップで請け負う専門会社として、クリエイティブ領域に軸をおいた事業を展開。

1968

仙台営業所(現:仙台支店)を開設。
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1970

店舗設計、ディスプレイ、リースなどの別会社「中近店飾工芸株式会社」設立。オリジナル制作のカタログ「店舗設計」には、呉服店向けの内装・照明等の事例を多数掲載。
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1978

東京本社ビルを新築。

1980

呉服店向けギフトカタログ「テンダーギフト」発行開始。
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1981

呉服業界の季刊誌「ハローフレンド」を編集発行。

1986

展示会やフェアの企画・設営など呉服業界におけるあらゆるソリューションの提供を実現。

1989

呉服店の取り引き先数は全国5,000軒、当時の売上高は43億円にもおよんだ。

1990

バブルの崩壊、呉服業界の衰退とともに需要が縮小。商品在庫をかかえ、事業の見直しが必要になる。

当時の出来事

「オロナミンC」(大塚製薬・120cc 100円)発売。西表島でイリオモテヤマネコ発見。

ザ・ビートルズ来日。家庭用電子レンジ(シャープ・98,000円)が初登場。

Photo:AP / アフロ

マイカー時代到来。東京都府中市で「三億円事件」発生。

Photo:近現代PL / アフロ

女性誌『an・an』(マガジンハウス)創刊。「ケンタッキー・フライドチキン」の日本第一号店が名古屋でオープン。大阪万博開催。

キャンディーズ解散。植村直己が犬ぞりで北極点到達。インベーダーゲーム登場。

山口百恵が引退。立体パズル「ルービック・キューブ」が大ブーム。

Photo:AP / アフロ

「なめネコ」がブームに。イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が結婚。沖縄でヤンバルクイナ発見。

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ソ連でチェルノブイリ原子力発電所事故が発生。富士フイルムの使い切りインスタントカメラ「写ルンです」が発売、初年度100万本を販売し大ヒット商品に。

元号が平成に変わる。消費税(3%)導入。

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湾岸戦争勃発。『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『SLAM DUNK』連載開始。

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